福岡県大牟田市。かつては「炭鉱の町」と呼ばれ、石炭採鉱の重要な拠点として大きな発展を遂げました。
中でも日本一の出炭量を誇った「三池炭鉱」は、日本の産業が発展する上で、大きな役割を果たした炭鉱です。しかし一方で、三池炭鉱には「囚人労働」が行われていたという負の一面もあります。
鉱山での労働力が追いつかず、1873年に囚人を坑内外での作業員として招集。その後もさらに囚人集めを本格化させ、三池集治監という刑務所を設置し、囚人労働が禁止される1930年まで多くの囚人を働かせました。
日本の発展に関わる光と闇、その双方を併せ持った歴史的遺産「三池炭鉱」は、現在一般公開されています。2015年に世界文化遺産に登録され、多くの人が訪れる注目のスッポットとなっています。
三池炭鉱ってどんな所?
三池炭鉱の出炭量は、日本一。
福岡県の民謡『炭坑節』に、「~月が出た出た、月が出た、三池炭鉱の上に出た~」とその名が出てくるほど、三池炭鉱は出炭量が優れた炭鉱でした。
そんな三池炭鉱の歴史は意外と早く、1469年、近くに住む農夫が焚き火の下に燃える石を発見したことから始まります。
発見された当初は付近の住民が生活に利用する程度でしたが、江戸時代に入ると大がかりな採炭事業が行われるようになります。
採炭事業は大きな利益を生みました。そのため、採炭鉱区を巡って争いが勃発し、一時はその解決策として三池炭鉱は政府独占の事業となります。
その後、外貨が欲しかった政府の思惑により、炭鉱は旧三井物産へ売却されます。時代はちょうど、日露戦争後の最盛期。開発の波が押し寄せていた国内で、石炭の需要はますます高まっていきました。
当時の出炭量は約200万トンとも言われ、三井財閥の中核事業になっていったのです。
そんな流れも、終戦と共に終わりを迎えます。主要なエネルギー源が石炭から石油へと移行し、石炭の需要は一気に減少。
1997年、三池炭鉱は長い歴史の幕を閉じることになりました。
三池炭鉱のオススメスポット
日本の発展にとって欠かせなかった炭鉱ですが、主要エネルギーが石油に変わった現在は、多くの炭坑施設や炭鉱跡が無くなり、その功績を目に出来る機会も減ってきてしまいました。
そんな中で「三池炭坑」は、今なお炭坑跡が良好に保存されている貴重な遺産として、注目を集めています。
最盛期は宮原坑、万田坑など4つの山坑が整備され、日本の発展へと貢献した三池炭鉱。その見どころをご紹介します。
年間40万トンもの採炭量を誇った「宮原坑跡」
1898年〜1931年まで三池炭鉱の主力抗として活躍した宮原坑は、坑内の排水を担うことを目的として作られました。
大型で馬力もあるデビーポンプを導入し、三池炭鉱での採炭量を大きく伸ばしました。当時、年間40万トンもの石炭を採掘していたそうですから、驚きますね。
一方で、こうした採炭量の増加に伴い、宮原坑跡では囚人を使っての労働力の確保が進めれらます。囚人たちに厳しい労働を課したことから、「修羅抗」とも呼ばれたそうです。
現在は第二竪坑施設跡が残っており、日本で最も古い鋼鉄製櫓を見ることが出来ます。
工員たちの職場や浴室も見られる「万田坑跡」
宮原坑に続いて作られた万田坑は1902年〜1997年まで稼働しました。
当時の炭鉱の跡が良質な状態で保存される万田抗跡では、工員たちが使用していた職場や浴室も見ることが出来ます。
鉄ちゃん必見!「三池炭鉱専用鉄道敷跡」
路線の跡が今も残る「三池炭鉱専用鉄道敷跡」は、三池炭鉱の各坑口と三池港を結び、石炭や作業員を運ぶために作られました。
三池炭鉱専用鉄道敷は1878年に馬車鉄道として始まり、その後、蒸気機関車・電気機関車、一時期は地方鉄道として旅客輸送にも使用されたそうです。
輸送の大部分を占める石炭貨物は大変重いため、坂道などがあると登り切ることが出来ません。そのため、勾配があるところには盛土や切土を行い平坦になるよう土地を整えながら作られました。
三池炭鉱専用鉄道敷跡の路線脇には、今も煉瓦構造物などが当時と同じ姿で残されています。路線跡を辿りながら、ぜひ当時の様子を想像してみてください。
日本で唯一、閘門(こうもん)を持つ港「三池港」
遠浅の有明海は干満の潮位差が最大5.5mもあり、数kmにも及ぶ干潟が表れるところもあります。こうした有明海の特徴は、大型船の来航に不向きでした。
そのため炭鉱の運び出しは、まず大牟田川河口から小型運搬船と艀で対岸の口之津港まで運び、その後大型船に積み替えるという面倒な手順で行われていました。しかし、この方法では、時間もコスト非効率。
そこで、大型船に直積み出来る港を、新たに建設することになります。こうして作られたのが、「三池港」です。
広さ13万平方メートル、内港の広さ約50万平方メートル、航路の長さ1,830m、幅137m、当時の人工港としては破格のサイズで、大きな注目を集めました。
三池港の特徴の1つが、水位差がある場所で船を就航出来るようにする「閘門(こうもん)」と呼ばれる構造です。観音開きの鉄製の扉を開閉することで、港内の水位を調節します。
三池港の築港を主導した團琢磨は、
「石炭山の永久などということはありはせぬ。
無くなると今この人たちが市となっているのがまた野になってしまう。
築港をやれば、そこにまた産業を興すことができる。
築港をしておけば、いくらか百年の基礎になる」
という言葉を残しています。
この團琢磨言葉通り、三池港は現在も地域の経済産業活動を支える重要な港として稼働中です!
労働に従事した囚人が集められた「三池集治監跡」
三池炭鉱の負の一面を示す「三池集治監跡」は、現在高校になっており、「旧三池集治監跡」の壁だけが残っています。
定員2,000名のこの監獄には、1884年末で666名、1897年には最高の2,166名の囚人がいたそうです。
基本情報
■宮原坑跡
住所:福岡県大牟田市宮原町1丁目86-3
問い合わせ先:0944-41-2515
営業時間:9時30分~17時
入館料:無料
■万田抗跡
住所:熊本県荒尾市原万田200番地2
問い合わせ先:0968-57-9155
営業時間:9時30分~17時
定休日:月曜日
入館料:万田坑跡 大人410円、高校生300円、小・中学生200円/万田坑ステーション無料
■三池炭鉱専用鉄道敷跡
住所:大牟田市、荒尾市
問い合わせ先:0944-41-2515
■三池港
住所:大牟田市新港町
問い合わせ先:0944-41-2515
■三池集治監跡
住所:大牟田市上官町4-77
三池炭鉱周辺のおすすめ観光スポット
炭鉱の町として栄えた大牟田市には、炭鉱にちなんだ観光スポットが沢山あります。中でも「大牟田市石炭産業科学館」は、石炭産業を詳しく学ぶことが出来る、子どもにも大人にもおすすめのスッポットです。
その他、大牟田市には動物園や道の駅などもあります。世界遺産である歴史と共に、ぜひこちらも楽しんでください。
「大牟田市石炭産業科学館」のダイナミックトンネルは見逃せません
日本最大の炭鉱「三池炭鉱」の歴史を伝える科学館です。三池炭鉱の資料の他、エネルギー資源としての石炭についても学ぶことが出来ます。
地下400メートルの坑内を再現した仮想炭鉱現場(ダイナミックトンネル)は、大牟田市石炭産業科学館の大きな見どころの1つです。
梅で有名な「普光寺」
「普光寺」は、823年に嵯峨天皇の皇子が建立した天台宗のお寺です。
300本近くの梅林が有名で、龍が地上を這っているような形をした「臥龍梅(がりゅうばい)」と呼ばれる樹齢450年以上の梅の木は、県の天然記念物に指定されています。
ちなみに、梅の花は2月中旬~3月上旬が見頃です。
基本情報
■大牟田市石炭産業科学館
住所:福岡県大牟田市岬町6-23
問い合わせ先:0944-53-2377
営業時間:9時30分~17時
定休日:月曜日
入館料:大人 400円、高校生 400円、4歳から中学生 200円
■普光寺
住所:福岡県大牟田市大字今山2538
問い合わせ先:0944-51-2966
三池炭鉱までのアクセス(行き方)は?
各坑口跡や三池港は点在しており、それぞれ移動しながらの観光することになります。団体旅行の場合、ぞろぞろと電車やバスで移動するのは、正直面倒。
そこでおすすめしたいのが、貸切バスの利用です。時間も手間も短縮され、1日を効率的に観光に当てられます。食事の際、お酒を断る必要もなくなりますよ。
ぜひ、旅の便利なツールの1つとして検討してみてください。
各施設へのアクセスは、こちらをご参照ください。
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